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富山地方裁判所魚津支部 昭和62年(ワ)10号 判決

原告

清水陽子

原告

清水和幸

原告

清水研二

右清水研二法定代理人親権者母

清水陽子

原告ら訴訟代理人弁護士

中陳秀夫

堀井準

被告

島田良美

右訴訟代理人弁護士

澤田儀一

金川治人

主文

一  被告は原告清水陽子に対し金六六三万一九一九円、原告清水和幸、同清水研二に対し各金三三一万五九五九円及び右各金員に対する昭和六二年四月二日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告らの、その一を被告の負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告清水陽子に対し金二四七二万八九一五円、同清水和幸、同清水研二に対し、それぞれ金一二三六万四四五七円、及びこれらに対する昭和六二年四月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

左記交通事故(以下「本件事故」という)により、訴外清水幸雄(以下「亡幸雄」という)は後記傷害を受けた。

(一) 日時   昭和五九年五月二日午前七時四〇分ころ

(二) 場所   富山県黒部市六天吉田工業株式会社生地工場前三叉路交差点

(三) 加害車   被告所有の普通乗用自動車

(四) 右運転者  被告

(五) 事故の態様 亡幸雄が出勤のため、県道沓掛生地線を、自宅所在の生地から勤務先晴柀鉄工所所在の沓掛に向けてオートバイで進行中、吉田工業株式会社生地工場前三叉路交差点に差しかかったところ、対向してきた被告運転の普通乗用車(以下「加害車」という)が被告の前方不注視のまま亡幸雄のオートバイに気づかずに右折し、直進してきた被害者のオートバイに衝突した。

2  責任原因

(一) 自賠法三条による責任

被告は、加害車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたので、自賠法三条本文により、後記損害について保証すべき義務がある。

(二) 民法七〇九条による責任

被告は、本件事故当時、加害車を運転して、本件交差点に差しかかり、これを右折進行しようとした際、自動車運転者としては、右折する時にはあらかじめ自車前方を注視して直進車の有無を確認し、直進車を発見した場合には直ちに自車を停止させる注意義務があるのに、これを怠り、前方を注視しないで漫然自車を右折進行させた過失により、折から対向直進してきた亡幸雄運転のオートバイに自動車前部を衝突させたものであるから、民法七〇九条によっても損害を賠償すべき義務がある。

3  傷害

亡幸雄は、本件事故により右脛骨顆部骨折の傷害を受け、昭和五九年五月二日より入院加療していたが、同年六月二七日に右骨折が原因となっつて右脛骨の漫性骨髄炎が惹起された。その後、同年八月三一日に症状が一時軽快し、黒部市民病院を退院したが、経過が思わしくなく、昭和六〇年一月二八日まで同病院に通院加療し、また昭和六〇年二月八日から同年三月一三日まで、国立東京第二病院に入院加療した。その後も、右慢性骨髄炎による痛みを訴えていた。

その後、亡幸雄は右骨髄炎による痛みのため、心気的、抑うつ、不安などの症状を伴う神経症に罹患し、昭和六〇年五月七日から同年七月一九日まで、富山市民病院に入院加療し、退院後も同年七月二〇日から同年八月三一日まで通院加療した。

4  自殺

その後も亡幸雄は慢性骨髄炎の痛み及び神経症に苦しみ眠れない夜が続いていたが、昭和六一年二月一八日、右慢性骨髄炎を苦にして自殺した。

5  損害

(一) 治療費 金八万二五一〇円

ただし、任意保険からの既受領分及び健康保険からの支給分を除く。亡幸雄が負担したもの。

(二) 入院雑費

金一〇三万五〇〇〇円

ただし、左記ア、イを合計したもの

ア 付添看護費

金八〇万五〇〇〇円

近親者が付添いをした。一日あたり金三五〇〇円として計算。

① 黒部市民病院入院分

金四二万七〇〇〇円

入院期間 一二二日(昭和五九年五月二日〜同年八月三一日)

三五〇〇×一二二=四二万七〇〇〇円

② 国立東京第二病院入院分

金一一万九〇〇〇円

入院期間 三四日(昭和六〇年二月八日〜同年三月一三日)

三五〇〇×三四=一一万九〇〇〇円

③ 富山市民病院入院分

金二五万九〇〇〇円

入院期間 七四日(昭和六〇年五月七日〜同年七月一九日)

三五〇〇×七四=二五万九〇〇〇円

イ 入院諸経費  金二三万円

一日当たり金一〇〇〇円として計算。

① 黒部市民病院入院分

金一二万二〇〇〇円

一〇〇〇×一二二=一二万二〇〇〇円

② 国立東京第二病院入院分

金三万四〇〇〇円

一〇〇〇×三四=三万四〇〇〇円

③ 富山市民病院入院分

金七万四〇〇〇円

一〇〇〇×七四=七万四〇〇〇円

(三) 入通院慰藉料 金一九四万円

前期入院の状況、日数(計二三〇日)を考慮し、かつ、通院の状況、日数が計約四〇日であるも、期間(昭和五九年九月一日〜同六一年二月一八日)が一年五ケ月余の長期間にわたること等、を考慮すると、亡幸雄の本件事故による肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料として、金一九四万円を相当とする。

(四) 休業損害

金一九二万七四五二円

ア 休業期間  五二二日

昭和五九年五月二日〜同六一年二月一八日

ただし、昭和五九年一一月に二週間就業し、昭和六〇年九月一日〜同年一二月末まで就業している。

イ 一日あたりの賃金

金八五一六円

昭和五九年四月給与金二五万五四九六円を三〇日で除すと金八五一六円となる。

ウ ア×イ=金四四四万五三五二円

エ 控除

ウの金額から左記合計金二五一万七九〇〇円を控除する。

晴柀鉄工所から受領した給与合計金七一万七九〇〇円、任意保険から受領した休業補償金金一八〇万円(ただし、昭和五九年五月〜同年一〇月分として)。

(五) 後遺症による逸失利益

金一〇一万七四〇円

ア 右脛骨慢性骨髄炎は後遺症害等級一二級が相当であり、労働能力喪失率は一〇〇分の一四となる。

イ 期間昭和五九年五月二日〜昭和六一年二月一八日。逸失期間と中間利息控除をライプニッツ方式で計算すると、ライプニッツ係数1.859。

ウ 昭和五八年の収入金三八八万三五七九円

エ ウ×ア×イ=一〇一万七四〇円

(六) 死亡による逸失利益

金二三〇六万六一二八円

ア 昭和五八年収入金三八八万三五七九円。

イ 死亡時(昭和六一年二月一八日)年齢五三歳 六七歳まで稼働可能であり、逸失期間と中間利息控除をライプニッツ方式で計算すると、ライプニッツ係数は9.899となる。

ウ 生活費控除  四割 一家の支柱である。

エ ア×イ×0.6=306万6128円

(七) 死亡慰謝料 金一五〇〇万円

一家の支柱である被害者が死亡したことによる慰謝料は、金一五〇〇万円が相当である。

(八) 葬儀費用 金九〇万円

葬儀のための費用として、昭和五九年当時通常の費用として予見可能な金額である、金九〇万円を被告に負担させるのが相当である。

(九) 弁護士費用 金四四九万六〇〇〇円

原告らは、原告訴訟代理人らに本件損害賠償請求手続を依頼し、その費用として、右損害合計額の約一割に相当する金四四九万六〇〇〇円を支払う旨約した。

6  亡幸雄は前述のように、本件事故から生じた精神的、肉体的苦痛に耐え兼ね、昭和六一年二月一八日に自殺した。原告陽子は、亡幸雄の妻であり、同和幸、及び同研二はそれぞれ亡幸雄の長男と次男であり、亡幸雄の死亡による右第5項(一)ないし(七)掲記の損害賠償請求権を、それぞれ法定相続分に従い相続し、第5項(八)及び(九)については、それぞれ法定相続分に従い負担する合意をなした。

7  よつて、原告らは被告に対し、自賠法三条及び不法行為による損害賠償請求権に基き、原告陽子につき金二四七二万八九一五円、原告和幸、同研二につき各金一二三六万四四五七円及び右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和六二年四月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1についてすべて認める。

2  同2についてすべて認める。

ただし、亡幸雄にも後記の過失があるから過失相殺の主張をする。

3  同3のうち亡幸雄が、本件事故により右脛骨骨折の傷害を受け、昭和五九年五月二日より入院加療していたこと、同年六月二七日に慢性骨髄炎が惹起されたこと、同年八月三一日症状が軽快したことは認め、その余は知らない。

なお、慢性骨髄炎は、亡幸雄の持病でこれが再発したものであるが、この再発と本件事故の因果関係は否認する。

4  同4のうち原告ら主張の日に亡幸雄が死亡したことは認めるが、自殺かどうかは知らない。

5  同5について

(一) (一)は知らない

(二) (二)のうち付添看護費のうち黒部市民病院分につき否認する。付添看護を要しなかった。その余は知らない。

入院諸経費のうち、黒部市民病院分は金額を争い、その余は本件事故との因果関係がなく否認する。

(三) 入通院慰藉料についてはすべて争う。

(四) 休業損害について休業期間を昭和五九年五月二日から同年八月三一日での範囲で認め、その余は知らない。

(五) 後遺症による逸失利益は否認する。

(六) 死亡による逸失利益は否認する。

(七) 死亡慰藉料は否認する。

(八) 葬儀費用は否認する。

(九) 弁護士費用につき、原告らが原告ら訴訟代理人に依頼した事実は認め、その余は知らない。

6  同6について、原告らの身分関係及び原告ら主張の日に相続が開始したことは認め、その余は争う。

7  同7について争う。

三  被告の主張

1  亡幸雄が本件事故により受けた骨折は昭和五九年八月一一日治癒している。

亡幸雄には慢性骨髄炎の持病があつたもので、この再発と本件事故との間に因果関係があるとしても、被告には割合的範囲の責任しかない。

2  亡幸雄においても前方を注意し、右折車の動向を確認していれば本件事故は防止できたはずで亡幸雄にも二割相当の過失がある。

3  仮に、亡幸雄の死が自殺によるものであつたとしても、交通事故の被害者の自殺は、経験則上通常生ずるものではなく亡幸雄の自殺と本件事故との間に相当因果関係はない。

交通事故と被害者の自殺との間の因果関係が認められるのは、傷害が脳に存し、因つて精神に異常をきたし、その異常の程度がひどく、自殺念慮を反省したり、自殺への志向を抑制したりするような判断作用ないし意志作用のできない場合、あるいは半身麻痺等、後遺症障害が極めて重大かつ深刻な場合に限られ、しかも割合的因果関係を認めたり、寄与度を考慮するなどされている。

本件のように右足骨髄炎でノイローゼとなり自殺にまで至るのは稀有なことで予見可能性はなく、本件事故と亡幸雄の自殺との間に相当因果関係はない。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  亡幸雄は小学生時に関節炎に罹患したものの、小学生当時完治しており、以後本件事故発生まで約四〇年間通常人と全く異ならない生活を送り、重労働に耐え、スポーツを好み、雪の日でもオートバイ通勤していたもので、本件事故と骨髄炎の再発の間に因果関係がないとは到底いえない。

2  本件事故によって亡幸雄は、右足骨折の障害を受け、これが原因となつて骨髄炎に罹患し、骨髄炎による肉体的苦痛と仕事ができないことなどについての精神的苦痛により、抑うつ、心気的不安などを症状とする神経症に罹患し、結局自殺するに至つたもので、本件事故と亡幸雄の自殺との間に事実的因果関係のあることは明らかである。

また受傷から骨髄炎、骨髄炎から神経症、神経症から自殺に至るという関係は日常生活においてありえないことではなく、予見可能であつて本件事故と亡幸雄の自殺の間には相当因果関係がある。

また交通事故により脳に器質的障害が生じたり、また後遺症が重大で廃人同様の状態にあるときはもちろん、そうでない場合でも精神的肉体的苦痛が甚しく何人も耐えがたい状況にある場合や、加害者が被害者に何人も耐えがたい罵倒、侮辱を加えたなど諸般の事情を考慮し、被害者の受けた肉体的精神的苦痛、衝撃、後遺症障害が極めて重大で通常人なら自殺を選んでもやむをえないと認められる状況にあれば相当因果関係ありというべきである。

本件では亡幸雄は、交通事故によつて受けた障害による苦痛が継続的かつ甚大であり、また、この肉体的苦痛や家族、仕事等を思つての心労によつて精神的に不安定になつたところ、被告の父親からの罵倒、侮辱を受けて追い込まれ、損害保険金の交渉も進展しないことから、抑うつ、心気的不安などを症状とする神経症にかかり、自殺するに至つたもので、本件事故と亡幸雄の自殺との間には相当因果関係があり、かつ亡幸雄の自殺についての被告の責任は著しく大きく、寄与度による割合的因果関係の立場からも、生じた損害の全てについて被告の責任がある。

第三  証拠〈省略〉

理由

一事故の発生及び責任原因

請求原因1(事故の発生)、2(責任原因)については当事者間に争いがない。したがつて被告は自賠法三条もしくは民法七〇九条により本件事故による損害を賠償する責任がある。

二本件事故と骨髄炎の再燃及び亡幸雄の死亡との因果関係

1  請求原因3のうち、亡幸雄が本件事故により右脛骨骨折の傷害を受け、昭和五九年五月二日より入院加療していたこと、同年六月二七日に慢性骨髄炎が惹起されたこと、同年八月三一日症状が軽快したこと、同4のうち亡幸雄が昭和六一年二月一八日死亡したこと、亡幸雄が昭和五九年五月二日から同年八月三一日まで休業したことは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すれば次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

(一)  亡幸雄は、昭和七年六月一日に亡清水清次郎、ゆきの次男として出生し、昭和三九年一二月一一日原告陽子と結婚して、その間に原告和幸、同研二の二子が出生した。

亡幸雄は幼時に罹患した骨髄炎のため右膝の関節が曲がらない状態であつたが、歩行や座る際に不便を感じる以外、特に痛みを訴えることもなく、通勤にはオートバイを利用し、通勤先の鉄工所で旋盤工として終日働き、健康でスポーツにも積極的に参加する等、通常人と同様の生活を送つており、町内会長を務めるなどし、昭和五七年には家も新築し、家庭内にもさしたる問題はなく、本件事故前にはノイローゼになる兆候は皆無であつた。

(二)  亡幸雄は、昭和五九年五月二日、本件事故により右脛骨顆部骨折の傷害を受け、同日から黒部市民病院に入院治療を受けていたが、同年六月二七日、右傷害が誘因となつて完成されていた防御壁が破壊され、右脛骨の慢性骨髄炎が再燃し、苦痛を訴えるようになつた。黒部市民病院では抗生剤を投与し、理学療法を行うなどの治療を行つた。

(三)  亡幸雄は、同年八月一一日、骨癒合が得られ、脛骨骨折はいつたん治癒したものと診断され、同月三一日症状が軽快したとして退院した。同年九月一二日、亡幸雄の治療にあたつていた黒部市民病院の加藤大輔医師は亡幸雄の経過は良好である旨の診断書を作成しているが、亡幸雄は依然として骨髄炎による苦痛を訴え、翌昭和六〇年一月二八日まで黒部市民病院に通院治療を受けていた。

亡幸雄は、経過がおもわしくないとして黒部市民病院に通院中の昭和五九年一二月二八日、国立東京第二病院で診察を受け、翌昭和六〇年二月八日から同年三月一三日まで同病院に入院して投薬等の治療を受け、同年三月一四日今後約二か月の経過観察を要するとの診断を受けて退院した。

(四)  亡幸雄は本件事故による骨折は治癒し、軽作業は可能であるとの診断を受けたため、昭和五九年一一月勤務を再開したが、依然として骨髄炎による痛みを訴え、二週間就業したのみで出勤しなくなり、再び通院を始めた。

(五)  亡幸雄はこの頃から骨髄炎が治癒しないこと、本件事故による補償金の交渉がはかばかしく進展しない一方で、勤務先では軽作業しかできないなら出勤に及ばない旨言われ、経済的にも不安があつたことなどから精神的な動揺を見せるようになつていた。昭和六〇年三月、前記国立東京第二病院を退院してからも亡幸雄の精神的不安は高まる一方であつて一人で外出したり人に会うのをいやがるようになつていた。

(六)  亡幸雄はいずれも未遂に終わつたものの、同年四月、二回にわたり自殺を図り、家族の者は亡幸雄から目を離せないようになつた。同月六日亡幸雄は富山市民病院神経科を受診し、本件事故に関連して神経症が出現したとの診断を受け同年五月七日から七月一九日まで同病院に入院し、退院後は同病院に通院して精神安定剤の投与や精神療法などの治療を受けた。この間亡幸雄には心気的、抑うつ、不安などの症状が見られた。

(七)  退院は亡幸雄の強い希望もあつて実現したものではあるが、亡幸雄の症状が改善されていたわけではなく、亡幸雄は退院後再び勤務先に戻り同年九月一日から一二月末日まで勤務したものの本件事故前と同様には働けず、心気的、仰うつ、不安の症状は依然として続き、富山市民病院への通院も家族の付添いなしでは不可能な状態であつた。

昭和六一年になり、亡幸雄は勤務先にも出ず、家に閉じこもる日が続いていたところ、同年二月一六日亡幸雄は自殺した。

3 右認定の事実によれば亡幸雄は慢性骨髄炎に罹患していたところ、本件事故による骨折のため、完成されていた防御壁が破壊され慢性骨髄炎が再燃したもので、本件事故と骨髄炎の再燃の間に因果関係が存在することは明らかである。

また、亡幸雄は本件事故と因果関係のある慢性骨髄炎の症状が軽快せず鉄工所での勤務に戻れず、補償交渉もうまくいかなかつたことなどから、抑うつ・不安などの症状を伴う神経症に罹患し、将来に絶望して自殺したもので、亡幸雄の自殺と本件事故の間には相当因果関係が存在するというべきである。

しかしながら、自殺は本人の自由意思に基づくものという面を否定できず、自殺により生じた損害をすべて加害者に負担させるのは損害を公平に分担させるという損害賠償法の基本理念からみて相当でなく、民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用して、加害者たる被告の賠償すべき損害額を減額するのが相当であるところ、本件では事故そのものにより生じた傷害そのものは比較的軽微なものであつたこと、亡幸雄に慢性骨髄炎の既応症があつたこと、亡幸雄が自殺したのは本件事件から一年以上たつてからであつたことなど諸般の事情を考慮し、亡幸雄の死亡による損害については、その七割を減ずるのが相当である。

三損害

進んで原告らの損害について判断する。

1  治療費 八万二五一〇円

〈証拠〉によれば、亡幸雄は黒部市民病院、国立東京第二病院での治療費として八万二五一〇円を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  付添い看護費 〇円

本件全証拠によつても、亡幸雄の入院中、担当の医師が付添い看護を指示した事実を認めることはできないから、近親者が付添い看護をしたとしてもその費用と本件事故の間には相当因果関係がない。

3  入院雑費 二三万円

亡幸雄が昭和五九年五月二日から同年八月三一日まで黒部市民病院に、昭和六〇年二月八日から三月一三日まで国立東京第二病院に、同年五月七日から七月一九日まで富山市民病院にそれぞれ入院(合計二三〇日)して治療を受けたことは前示のとおりであり、右の事実によれば亡幸雄は入院中一日あたり一〇〇〇円を下らない金額の雑費を支出したものと推認することができ、右推認に反する証拠はない。

4  傷害による慰謝料 一六〇万円

前示の亡幸雄の傷害の程度、入通院期間その他の事情を考慮すると、亡幸雄の傷害による慰謝料は一六〇万円が相当である。

5  休業損害 三七二万七四五二円

亡幸雄が本件事故以来、死亡した昭和六一年二月一八日までのうち、昭和五九年一一月に二週間、昭和六〇年九月一日から同年一二月末日までを除いた合計五二二日間稼働できなかつたことは前示のとおりであり、〈証拠〉によれば亡幸雄は事故前の昭和五九年四月分の給与として二五万五四九六円(一日あたり八五一六円。円未満切り捨て。以下同じ。)の支払いを受けていた事実が認められ、他方亡幸雄はこの間勤務先から給与として七一万七九〇〇円の支払いを受けたことは原告らの自認するところであるから、亡幸雄は次の計算式のとおり三七二万七四五二円の休業損害を被つたものと認めることができ、右認定に反する証拠はない。

八五一六×五二二−七一万七九〇〇=三七二万七四五二円

6  後遺症による逸失利益 〇円

原告らは本件事故の発生した昭和五九年五月二日から亡幸雄の死亡した同六一年二月一八日までの間の後遺症による逸失利益が生じたと主張するが、この間一時期を除き亡幸雄は稼働できず同人に休業損害が生じたことは5認定のとおりであり、この休業損害と別個に後遺症による逸失利益が生ずる余地はなく、この点に関する原告らの主張は失当である。

7  死亡による逸失利益

六九一万九八三八円

〈証拠〉によれば亡幸雄の昭和五八年の収入は金三八八万三五七九円であつたことが認められ、これに反する証拠はなく、右事実に亡幸雄の年齢(死亡当時満五三歳)、稼働状況を総合すれば、亡幸雄は本件事故により死亡しなければ、満六七歳までの一四年間稼働可能であり、その間右と同額の収入を得ることができたものと推認できるから、これを基礎として生活費として四割を控除し、更にライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除し亡幸雄の死亡時における逸失利益の現価を求めると次の計算式のとおり、二三〇六万六一二九円となる。

388万3579×0.6×9.899=2306万6129円

そして亡幸雄の死亡による損害については過失相殺の類推適用により、七割の減額をするのが相当であることは前示のとおりであるから、右認定の逸失利益から七割を減額すると残額は六九一万九八三八円となる。

8  死亡による慰謝料 四五〇万円

亡幸雄傷害の程度、その年齢、死にいたる経緯その他の事情を考慮すると亡幸雄の死亡に慰謝料は一五〇〇万円が相当であると認められるが、前記7と同様死亡による損害については七割の減額をするのが相当であるから、亡幸雄の死亡による慰謝料は四五〇万円となる。

9  相続

原告陽子が亡幸雄の妻、同和幸、同研二が亡幸雄の子であつて原告らが亡幸雄の死亡により相続が開始したことは当事者間に争いがなく、右事実によれば、原告らは亡幸雄の損害賠償請求権をその法定相続分に従い、原告陽子二分の一、同和幸、同研二が各四分の一の割合で相続取得したこととなる。

したがつて、亡幸雄の本件事故に基づく傷害による損害につき原告陽子は二八一万九九八一円、原告和幸、同研二はそれぞれ一四〇万九九九〇円の、亡幸雄の死亡による損害につき原告陽子は五七〇万九九一九円、原告和幸、同研二はそれぞれ二八五万四九五九円の各損害賠償請求権を相続によつて取得したこととなる。

10  葬儀費用 二七万円

〈証拠〉によれば原告らは亡幸雄の葬儀を行いその支出額は九〇万円を下らなかつたこと、原告らが葬儀費用を法定相続分に従い負担する旨の合意をしたことが認められるが、前記7・8と同様、死亡による損害については七割の減額をするのが相当であるから、右葬儀費用の損害額は合計二七万円となる。

11  過失相殺

前記のとおり請求原因1の事実は争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、亡幸雄は勤務先の鉄工所への通勤途中、県道沓掛生地線を生地から沓掛に向けてオートバイで進行中、吉田工業株式会社生地工場前の交通整理の行われていない三叉路交差点に差しかかり、対向してきた加害車が停止したため直進したところ、右折を始めた加害車に接触転倒したもので、右交差点には見とおしを妨げるものはなかつたこと、したがつて、亡幸雄において前方を十分に注視していれば、加害車が右折することを予想することも可能であつたと見られることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右の事実によれば、亡幸雄には、交差点を進行するにあたり対向車の動静を注視して走行すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と交差点に進入した過失があり、亡幸雄と被告の過失を対比すると、亡幸雄には本件事故の発生につき二割の過失があるものと認めるのが適当である。

12  損害のてん補

以上の原告らの本件事故に基づく亡幸雄の傷害による損害は、原告陽子二二五万五九八四円、原告和幸、同研二各一一二万七九九二円となり、亡幸雄の死亡による損害は原告陽子四六七万五九三五円、原告和幸、同研二各二三三万七九六七円となるところ、原告らが本件事故に基づく亡幸雄の傷害による損害のてん補として任意保険から一八〇万円の支払いを受けたことは原告らの自認するところであり、弁論の全趣旨から右金員は原告らの法定相続分に応じ、原告陽子につき九〇万円、原告和幸、同研二につき各四五万円配分されて各債権の弁済に充てられたものと認められるから、これを控除すると結局原告らの残債権額は原告陽子につき六〇三万一九一九円、その余の原告二名につき各三〇一万五九五九円となる。

13  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告らが被告に対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は原告陽子につき六〇万円、その余の二人の原告につき各三〇万円と認めるのが相当である。

四結論

以上によれば原告らの被告に対する本訴請求は、原告陽子につき金六六三万一九一九円、その余の原告二名につき各金三三一万五九五九円及び右各金員に対する本件事故の発生の日の後である昭和六二年四月二日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官丸地明子)

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